Oct 25, 2009

「命」という詩
Tags: story,

ずいぶん前に買って置いたコミックを読みました。しっとりとした内容でだいぶ共感出来ました。定期的に生きるとか命について考えさせられるのは良いことだと思ってます。

最後のページに、「命」という詩が引用されていました。検索すると、宮越由貴奈さんという小学4年生の子が書いた詩でした。とてもストレートな詩だと思います。私的には、命をあきらめようとしている人にも読んで欲しいとは思わず、別なことを思っています。

最近よく「人は現実的な期限があることには真剣になる傾向がある」と思います。なぜでしょう。残された時間がいったい何年なら真剣に生きようと思うんでしょうか。50年?10年?3年?半年?。これについてしばしば頭を使っています。身近な例では、明日の会議に必要な資料!となれば、真剣に作業します。1ヶ月先だと、まぁ後で良いかになります。

命の話に戻すと、病気になり余命を通知されると、多くの人はそれまでと価値観が変わり、より強く生きようとする傾向があるようです。がんを克服した人は非常に活動的です。がんや不治の病をテーマにした話は、本当にたくさんあり多くの人の共感を得ています。

でも何かひっかかります。残り時間が現実的な値だから、強く生きようとするのでしょうか。別の視点で言えば、残り時間が少ないという条件が付かなければ、強く生きようとする人の姿に感動できないのでしょうか。もしくは、消えゆく恋人を前にしないと愛を感じられないのでしょうか。それとも、普段から愛を感じているけど、「特別なシチュエーション」だと、もっと深く感じられるだけのことでしょうか。なぜ残り時間が少ないことを前提としたお話が、多く存在するのか不思議なのです。

そういえば、ヒトの性質として、慣れることで刺激に対する感度を下げる傾向があるのはよく知られたことです。五感についてはすぐに想像できます。ああ、そうか。ならば、人の感情にも順応してしまう傾向があるのかもしれません。生きていることが当然の状況に順応してしまうと、その意味や重みを感じられなくなるということでしょうか。

何となく理解できたかもしれません。つまり、残り時間が少ないといった特別な条件が付けられたお話は、順応した定常状態では得られない状況なので、命の意味や重みを身近に考えやすくなる。ということではないでしょうか。

しかしそうすると、次の疑問がやってきます。なぜ人は特別なことを重視する傾向があるんでしょう。。。うーむ。

以上、独り言です。

■ 電池が切れるまで
http://ja.wikipedia.org/wiki/電池が切れるまで

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